月丘(太陰丘)の下部に「太陰環」や「ビアラシビア(ビアラシバ)線」と呼ばれる線が出ることがあります。
しかしマイナー気味な線なのか情報が根本的に少ない上、私が情報源として今まで読み漁った本やネット上の記事、自身に対する鑑定……その全てといって良いほど各ソースで線の判定・読み方がまちまちです。
手相の出方によっては「放縦線」という風に読む人もいます。
一体何なのか。ハッキリしてくれという思いです。
ビアラシビア線(太陰環)の意味
「ビア・ラシビア(ラシバ)」とは古代ギリシャ語で「月の淫乱」、インド語では「自由」を意味する言葉らしいです。
その呼び名が示す通り「ビアラシビア線」は月丘に現れる線であり、その意味も性的な文脈での説明が体感多い気がします。
意味合いとしては性に奔放だとか、一人のパートナーでは満足できないという説明になります。
もう少し一般的には「束縛を嫌い、自由を愛する」・「中毒(依存症)になりやすい」と説明されていることが多いです。
ある英語の記事には呼び名の通り”lasciviousness(ラシビアスネス)”、すなわち「金や享楽に対して淫猥」であり「好色」・「病的な性欲」を含意すると書いてありました。
また某手相芸人さんは「3人でも満足できま線」と紹介していました。
そのように、どうもこの線はそういう性的嗜好として現れる傾向が強いようです。
ただ個人的には、この線はあまりにも性的な面が強調され過ぎていると思うのです。
それはこの線を持っている私の周りの人間を見てみると、どちらかというと「自由人」という傾向の方が強い気がするからです。
(裏では性欲も凄いのかもしれませんが)
ただし、この「自由人」というのは根っからの自由人ではないと述べておきます。
自分の苦手・嫌な事をやらざるを得ない場面では常人より物凄くストレスがかかり、自分の得意・好きな事をやっている時はストレスがかからないと本人が無意識に分かっているため、結果として生き方が「自由人」になっている気がします。
ちなみに本当の自由人という意味では、私が以前紹介した「離れ型」とかの方がその傾向にあると思います。
何故ならば、判断の価値基準そのものが急にガラリと変わるので。
そのため、周りの人間からしてみると十分に自由な人間に見えても、当の本人は自分が自由だとあまり思っていないという可能性があるのがこの線のように思います。
むしろ、当人はストレスを抱えているということまであり得ます。
なんなら自由そうに振舞って周りに迷惑をかけておきながら、後で被害者ぶる人間もいるかもしれません。
「いい加減、自由にさせてくれ!」と。(「いやいや、十分自由にしてるじゃん……」みたいな。)
これを良い風に捉えると「自由に生きることが出来る才能を持った人間」と言うことも出来るのですが、悪い風に捉えると「とことん自分勝手な人間」と言うことも出来ると思います。
まあ、全ての事象は捉え方次第だと言えばそれまでなのですが。
こういった特性を踏まえて、「ビアラシビア線」は「ストレス耐性がなく・刺激を求め続ける傾向が強い」という説明が一番適切な気がします。
それが性的な意味合いとして説明されることが多いのは、人間という生物にとってセックスや恋愛は、大きな快楽を得る一番簡単な手段だからだと推測します。
性に奔放なのは刺激的かつ心地よい(=ストレスが無い)ことを求めた上での行動の結果だということです。
また刺激というのは筋トレでも何でも同じものだと逓減していきますから、刺激を求めれば当然新しいものに目移りする可能性も高いです。
これは享楽的、何よりも自身の楽しいことを優先するという価値基準の結果とも説明することが出来ると考えます。
総じて「ストレス」に対する反応や特性が月丘付近に表れるのではないかという観点で説明する方が「ビアラシビア線」については適切だと思います。
そうすると、この手相に関連する「放縦線」(・「享楽線(オタク線)」)との意味も齟齬しないようになると私は考えます。
ともかく、月丘に特徴的な線がある人は「ストレス耐性」に特徴があるのは間違いないです。
ビアラシビア線(太陰環)の様々な判定基準
では、その「ビアラシビア線(太陰環)」とは一体どの線を指すのかという判定基準については、私が知る限りでも様々な説が存在しています。
原則的には月丘に現れる弧線を指すはずなのですが、「流派の違い」という言葉では済まないようなレベルで判定基準がハッキリしておらず、様々な線が「ビアラシビア線」だとされています。
それで結局何を指しているのか分からないのです。
そこで、その様々に存在する判定基準を私なりに分類してみました。
①「位置」基準:位置の高さで判定
②「始点」基準:甲から線が始まるか(横)で判定
③「弧の形」基準:どのような弧を描くかで判定
④「他線」基準:運命線や生命線を横切るかで判定
これらの判定基準は組み合わされて使用されることもあります。
以下の画像は各判定基準の説明図です。
こうやって様々な判定基準を挙げたのは、別に私がそれらにどうこうケチをつけようということではありません。
実際の鑑定ではもっと複雑な形をしている場合があって、それらの情報がこういう形に分かれたのだと私は思っています。
ですので、これらはあくまで様々な判定「基準」な訳です。
では、私ならどういう基準で「ビアラシビア線」だと判定するのかという事について述べますと、上記の①・③に近い判定基準を用いると思います。
というのは、「ビアラシビア線」というのを「太陰環」、すなわち「月丘環」だとみなすとその定義通り「月丘」の「環」ということが大切になってくると思うからです。
上の図のように、「月丘」を切り取るようになっている「環」を素直に「ビアラシビア線」とすれば良いのではないかと思います。
従って余りにも始点が高くて、第二火星丘から始まっているようなものは「月丘」ではないので別物です。
同様に、金星丘や地丘に架かる横広の線も月丘の切り取り方で判定すればよいでしょう。
そして、それは「環」のカテゴライズですから、綺麗にその弧を描いていればその意味は強く、そうでなければ意味が弱いという風にすればいいと思います。
また、「ビアラシビア線」の判定には「放縦線」や「オタク線(享楽線)」等、月丘に現れる他の線との判定基準の違いも深く関わっているように思います。
それで「ビアラシビア線」は読み方によっては「放縦線」の一種のように見なされる場合があります。その逆も然りです。
私が上に挙げたような判断方法によって「放縦線」を「ビアラシビア線」だという人もいるでしょう。
そして、実際の鑑定では「放縦線」なのか、不完全な「ビアラシビア線」か悩む場合が出てくるのではないかと思います。
それらの場合は、「弧」を形成しようとしているのかどうかで判断すれば良いのではないでしょうか。
ともすれば、明確に「ビアラシビア線」という鑑定が出るのは珍しくなるはずです。
というのも、中々あの場所に後天的に弧が出来る手の使い方・筋肉の付き方というのは珍しいからです。
つまり、「ビアラシビア線」は本来的に先天的・心理的な要素が大きい線なのです。
ただ、私はあまりこれらの線に区別を設ける必要もないと思います。
要は「ビアラシビア線」も「放縦線」も、月丘を横に走る線の類だという前提で、線の濃淡・弧なのかという観点で意味の強弱をつけていった方が分かりやすいのではないかと私は思います。
最初に「ビアラシビア線」というのは「ストレス耐性」に関係する線だという説明をしたのはそのためです。
場所が大きく変わらないのに、意味も大きくは変わらないだろうということです。
あまり線の名前に囚われ過ぎない方が良いのではないでしょうか。
線の名前があって手相がある訳でなく、手相に線の名前を付けているだけなのですから。
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