西洋占星術、そしてネイタルチャートにおいて「月」というのは重要な天体で、十分な考察が必要です。
そこで「月」について見聞を深めようとした時に、日本においては「マドモアゼル愛」という方の「月欠損説」というものを一度は見聞きするのではないかと思います。
この「月欠損説」というのは例によって賛否両論、意見は様々なのですが、それだけ日本では知られた説でもあると思うので、取り上げておこうという次第です。
私個人としてはこの説は危険な解釈で、話半分に聞き流すのが良いという結論です。
マドモアゼル愛の「月欠損説(月の欠損)」
「マドモアゼル愛」という方は日本では有名な占星術師(らしい)です。
占いの活動の他に文筆業として本もいくつか書いていたり、ラジオ出演もしていたり、近年は特にYoutubeでの活動が目立っているという印象です。
そして、何よりもこの方が有名なのは「月欠損説(月の欠損)」という独自の占星術解釈であって、私もそれをきっかけにこの人を知りました。
この「月欠損説」というのは本人の見解はもちろん、非常に多くの人が理論のまとめや考察を行っているので私が改めて説明する必要もないかなとも思うのですが、
一言で言うと、ネイタルチャートで「月」がある位置は(従来の理論とは反対に)実はその人にとって欠けている部分だという説です。
故に、本来の自分であると思い込んでいる月の幻影を追いかけてしまうと悪戯に人生を消耗してしまい悩みが尽きないので、月に囚われてはいけないという結論になります。
本人の言葉をお借りすると、次のような説明になります。
月は子供時代から何ひとつ変わっていないその人の一面を表し、子供時代そのままの未成長の性質、そして能力を意味します。能力も未成長ですので、月で行ったことには実力は伴わず、必ず失敗に終わります。
マドモアゼル愛オフィシャルブログ:水瓶座時代:12星座別「月」最終解説第二回 ふたご座・かに座の月について
月は欠損であり、どんな場合に於いても基本的に良いことは何一つありません。わずかに人気運では月は生きてくると言える程度で、他はすべてよくありません。そのため、月についての解説は、ほとんどその人の欠点や限界や場合によっては悪口に聞こえることになります。しかし、月は本当の自分を表すことはないのです。月は本当の自分とは違うにも関わらず、それを自分の姿だと思ってしまうことから、人生の色々な問題が生じてくるのです。
マドモアゼル愛オフィシャルブログ:水瓶座時代:月の最終解説第四回「月がてんびん座 さそり座」
(※他ソースでも色々な別の表現がされているので、とりあえずアクセスしやすいブログ記事から引用しときます。)
しかし、この説明というのも誤解を招く言い方であり、もう少しマドモアゼル愛さんの各ソースでの説明を聞いたり調べてみると、「月の意味と意義は、私たちが描いた純粋な子供時代の心をそこに残している点です。この世で永遠に達成できない能力ではあるものの、純粋な思いを持ち続けられるということが月の命です。私たちは、月については、その星座が示す思いを純粋にただ思い続けるだけで価値があるのです(同上ブログ引用)」
などと述べていたり、完全に「欠損」という意味合いだけで使っていないような印象を抱くことがあります。月は月でやはり個人にあるもので、大切であるという主張をしているかのように思えたりもします。
かと思えば別のソースでは殊更に「欠損」であることを強調して月をこき下ろしたりするので、ネット上ではこの説の理解そのものに苦労している人も多い印象を受けるのがこの「月欠損説」です。
(※そういう実態の掴みにくさが「月」だと言わんとしているのかもしれないですが、個人的には「欠損」という表現が更なる誤解を生んでいる気もします。「無い故に追い求めてしまう」ということを言いたいのだと思いますが、何か別の言い回しは無いものでしょうかね?)
「月欠損説(月の欠損)」が危険な解釈である理由
そのような 「月欠損説(月の欠損)」 ですが、個人的には危険な解釈だと考えています。話半分に聞いておくのが良いでしょう。
そう考える理由は以下の2つです。
①この理論を提唱している人がマドモアゼル愛しかいない
②従来の理論の真逆を提唱・支持することは占星術自体の否定に他ならず、理論の信頼性を損ねる可能性がある
①について、これは本人も認めていることですが、この月欠損説というのはマドモアゼル愛さんしか提唱していない理論です。
今でこそネットでこの理論が拡散されて賛否様々な意見や考えが見られますが、この人が提唱しなければ恐らくここまで有名なものにはならなかったでしょう。
例えば、ネットの片隅にいる私などが唱えてみても眉唾な理論だとされて信用されなかったでしょう。しかし、同氏の発信力と言いますか、占術家としての立場自体が月欠損論の正当性を高めている部分があります。
それは後に述べるように、過去の理論検証の蓄積を否定することになるのでとても危険だと私は思うのですが、今では月欠損説を信じる人間の数も界隈で多くなっているので、中々こういう指摘も受け入れられなくなるのかもしれません。
また②について、従来の理論の「真逆」を唱えることは占術理論自体を否定しかねないので、出来れば止めて欲しいのです。
特に、同氏のような業界で一定の立場がある人間がこのような理論を発信するのは本当はいかがなものかと思います。
何故ならば、従来とは真逆の理論というのは一定の割合当たってしまうものだからです。
一種の統計学的手法を用いる占いというものは、ある個人にとっては当たる(当てはまる)けれども、ある個人にとっては当たらないといった類のものです。
それは集団として大数をとったときに初めて「傾向」を見出すことが出来るのであり、ひいては個人に「当てはまる確率が高い」と言えるのです。
それが占術理論における「当たる/外れる」ということで、本質的には両面は重要でありません。
今回の例で言えば、通説?の「月がプライベートな・本当の自分」という理論が70%の人に当てはまるとすると、これはコインを投げるより確率が高く、それなりに信頼性がある「当たる」理論だと言えるはずですが、それでもどうしても残り30%の人は「当たらない」と感じることになります。
そこに、その通説とは真逆の「月欠損説」なるものが存在するならば、当然残りの30%の人はその説を支持します。それは「月欠損説」が通説とは真逆の立場を取っているからに他なりません。
しかし、これは果たして説自体の説得力が保証されていると言えるのでしょうか?私は言えないと思います。
(※しかも、マドモアゼル愛さんの場合は扱う例がハウスを考慮していないですよね。星座に言及するばかりです。)
占術理論とは、そのようなコインの裏表のようなものではなく「コイン自体の性質」を表現するような世界観であるべきだと私は思うのです。
それで実は、私自身はそういう部分はとても慎重にやることを心がけていて、このブログでは多くの私独自の変わった解釈を紹介しているのですが、どれも従来の理論を否定(逆に)していない形になっていると思います。
繰り返しになりますが、通説を裏返しただけの理論は「外れる」という意味で当たってしまうのです。
だから多分、同じように「太陽欠損説」や「木星欠損説」なども実は一定の成果を挙げると私は思うのです(笑)
太陽星座占いが当たらない人はどれだけいるのかという話です。けれども、そんな理論を提唱する人は流石にいません。しかし、本質的にはやっていることは同じです。
通説の真逆を述べることは、占術理論の不完全性を支持しているのと同じです。つまり、ハナからそのような人は占星術を信じていないのです。
……そもそもですね、あの人はYoutubeに広告つけ過ぎですよ(笑)今はどうか知りませんが、「設定が分からない」なんてことはないでしょう。
私は一時期よく見てましたから、それ故に同氏のそういう所が引っかかります。
少しお金や欲の匂いがキツイ人ですので、個人的にはその時点で理論に信頼性がないと思っています。どうもあの人にはどこか胡散臭さを感じてしまいます。
しかし同時に、月欠損説というのはキャッチ―である故に確かに一度は気になる意見ではあるのです。
「当たっているかもしれない」と思い当たる所があった場合、月という惑星を従来の理論から離れて考え直すきっかけにはなります。確かに、昨今流行りの「月星座が全て!」みたいな論もそれはそれでオカシイ気がします。
ただやはり月欠損説は、人の認知バイアスと占術理論の不完全な部分を利用した悪質な理論であることは間違いないのです。そもそも占いは外れるものだから、通説とは真逆の説を唱えていればその分だけ逆に当たる人が確保できるという仕組みです。
ひいては、そういう態度は不誠実ですよね。
だから、「月欠損説」は話半分に聞いて、本質は別の所にあると考えた方が良いのではないでしょうか。
それこそ「月」の幻影に惑わされるなということで、少なくとも「欠損」という表現はキャッチ―さを狙ったキツ過ぎる言葉であるとは思います。
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