(現代西洋)占星術において、(ネイタル)チャートの惑星がどのハウスに入っているかを読むときに「5度前ルール」というルールを適応する読み方があります。
そして、そのルールは人により様々に追加・修正がされて用いられているのですが、その中には明確な理由なしに形だけが一人歩きしているものがあり、私を含めた多くの人が疑問に思っている現状があります。
そこで、「5度前ルール」とは何なのかという検討をこの記事で行います。
(※ここでの「ハウス」はとりあえずプラシーダスハウスとしておきます。)
「5度前ルール」とは
「ハウスカスプの5度前以内にある惑星は次のハウスに入っているものとする」
というのが一般的な「5度前ルール」と呼ばれるハウス理論です。
すなわち、ハウスが次のハウスへ切り替わる境界線付近手前の惑星は次のハウスに入っているとみなすというルールなのですが、様々な人によって色んなルールが追加・修正されていたりします。
私が知るだけでも、「5度前」が「6~7度前」だったり、惑星によって角度を変えたり、「両方のハウスに入っているものとする」といったマイナーチェンジがあります。
挙句の果てには「プログレスやトランジットによる」、「サインにも適応する」というものまで様々な教義がありました。
もちろん、このルールを採用していない人もいます。
それ故に、「5度前ルール」については様々な立場が存在します。
それらが正しいのかはともかく、この「5度前ルール」を支える主な主張としては私が調べた限り、大きく以下があると思いました。
①ハウスの境界線はサインのそれに比べて曖昧なものである
②ハウスはグラデーション的なものである
③実際に当たっている感覚がある
④ASCは地平線から5度までの範囲を指すから
これらの主張を検討し、「5度前ルール」が妥当かどうかを考えます。
「5度前ルール」の検討
そもそもの話ですが、「ハウス」に関しては様々な分割法があるということがこういう問題を生んでいる気がします。
現在、日本の現代西洋占星術で一般的に「ハウス」という言葉が使用される際、それはプラシーダスハウスを意味していることが多いですが、他にもコッホやキャンパナスやソーラーハウスなど本当に多様なハウス分割法が存在しています。
また、パソコンのような計算機器が無い時代には複雑な計算は非常に面倒だったということもあって、イコールハウスなどもう少し簡易なハウス分割法が好まれていたのではないかと思います。
要は、「ハウス」という理論自体が西洋占星術に導入されてから現在に至るまで議論や修正が続いているということです。
曖昧なものは理論から極力取り除きたい私がどう考えるかは後に結論として書きますが、その点では「5度前ルール」みたいな謎ルールが一人歩きしているのは擁護できます。
ハウス理論は荒れているいうことです。
ただし、それを踏まえた上で「5度前ルール」は、私はやはり違うのではないかと思っています。
ハウスの境界線は曖昧?
「5度前ルール」を支持する主張の1つに「ハウスの境界線はサインと異なり曖昧である」というものがあります。
これには2つの意味が含まれていると考えます。
1つは「サインの境界線は厳格である」という意味です。
しかし、これもよくよく考えるとオカシイ話で、360度÷12星座=30度という風に割り切れるように人間が占星術のルールとして取り決めたのですから厳格に決まっていて当然です。
へびつかい座という都合が悪い存在があるでしょう?
それに、別に12星座均等に角度を振り分けなくても、「山羊座は120度!蟹座は5度w」みたいにしても良かった訳でしょう?
要はサインに比べてハウスという概念は人間同士の醜い争いが続いているというだけのことで、それをあたかも宇宙の神秘みたいに言うのは納得できません。
もう1つは「ハウスの境界線は曖昧である」という意味です。
これは、ハウスを決めるASCが4分に1度移動してしまうので出生時間の誤差は考慮しないといけないという文脈です。
だから「5度前ルール」で20分ぐらいの誤差は考慮しましょうという主張に繋がります。オーブに似た感覚です。
これは出生時間についてどう考えるかに左右されますが、私は出生時間という公式な情報を完全だと信じるべきだと考えます。
出生時間を疑っても、そうやって曖昧にした部分は結局「解釈」という更に曖昧な形になって返ってくるだけです。
それならば一定の根拠がある病院の記録を信じたほうがいいのではという思いです。
そうして手帳に記されている時間、「記されたこと」こそが運命だろうと私は思うのです。
ハウスはグラデーション的?
また、「ハウスの意味はグラデーション的である」という主張があります。
これにも2つの意味が含まれています。
1つは、1ハウスから12ハウスに至るまでのテーマの遷移がグラデーション的だという意味。
もう1つは、各ハウス内での意味の出方(前半角度→後半角度)もグラデーション的だという意味です。
総じて、「ハウス間・ハウス内にグラデーションがある」という意味です。
これに関して、私は半分同意という感じです。
「ホロスコープの円環はグラデーション的(連続的)に遷移していく」
この点については私も同意していますが、2つの点で同意しかねます。
まず、ハウスがグラデーション的だからといっても言語を介して相手に意味を伝える以上、理解はデジタル的(離散的)かつシステム的に行わなければならないと考えます。
例えるならば、青色を「青色」と言っても各人の色彩感覚は異なっているので双方が思い描く「青色」に誤解が生じるため、RGBで伝えるべきだということです。
従ってグラデーション的なものに言語解釈で切り分けを行う占星術理論は、たとえ「5度前ルール」のようなものを組み込む場合でも厳密さを保つために、完全にシステム的に処理出来る形にすべきで、「場合による」という曖昧なケース対応はハウス理論においても許すわけにはいきません。
そしてまた、各ハウスの意味を適切に表現・理解することが出来ていないため、ハウスが連続している理由が分かっていないとも考えます。
各ハウスの意味を正しく理解すれば対象のハウスは前後のハウスをシームレスに補い合う意味になっているはずで、わざわざ次のハウスの範疇に入れてしまう必要はないのです。
ですので、「5度前ルール」等でわざわざ次のハウスを考慮しなければいけないという立場を取るのは本当に「ハウスがグラデーション的」だと思っているのか?と疑ってしまいます。
ハウスはグラデーションであるなら、「5度前ルール」で無理矢理次のハウスに入れなくても意味は自ずと一緒のようになるだろうというのが私の考えです。
理解しやすくする為に取り合えず区切っておくぐらいの感覚です。
当たる気がするのは当然
「5度前ルールが感覚として当たっている」という主張は至極当然の話です。
何故ならば「当たっている」と感じた人間だけが「5度前ルール」を採用・主張しているからです。
「当たっていない」と感じたならば「5度前ルール」は採用されていないでしょう。
そして「5度前ルール」の方が当たるというのも至極当然の話です。
何故ならば、解釈の余地を拡大しているからです。
「両方のハウスに入っている」とすれば、単純に当たる確率は2倍です。
根拠なくハウスカスプから「5~7度」を無差別的にとれば惑星を次のハウスとしてみなせる確率も上がります。トランジットやプログレスまで考慮すればさらに言い訳する要素を増やすことが出来ます。
まあ、言ってしまえば典型的な認知バイアスがかかっています。
特に、この「5度」という具体的な固定値はどのように決まったのでしょうか?
「5度」は非常に大きな角度です。
この幅は出生時間に対する調整なのか、ハウスのグラデーションを表現しやすくするための調整なのか、どういう理由なのでしょうか。どう考えているのでしょうか?
思考停止・説明なしでこのルールを採用するのは危険というか、狡い気がします。
また、特にプラシーダスハウスを使用した際、各ハウスの角度には幅が出ます。それなのに何故「固定値」なのでしょうか?
極端な話、5度のハウス内の5度と40度のハウス内の5度は感覚的にも全く違います。
本来の主張ではハウスにはグラデーションがあるという話で、だからこそ境界付近には気を配るという流れだったのがこの「5度ルール」ではそれが一切無視されています。
理論に一貫性がないように私は思います。
ASC(アセンダント)には5度ほど範囲がある
以上のような苦しい主張はさておき、私が「5度前ルール」を採用する理由で最も説得力があると思うのは、この「ASC(アセンダント)には5度ほど範囲がある」という説です。
つまり、ハウス分割の始点そのものに幅(ズレ)があるため、5度ずつハウスの境界線がズレていくというものです。
これは、前述の「ハウスの意味自体にグラデーションがある」という立場とは違うということはキチンと理解されているべきです。
それで、この説の出所というのが伝統的占星術・ホールサインハウスからの歴史にあるようなのですが、「日の出は1ハウス(アセンダント)で起こるもの」という考えに基づいているようです。
強く輝く太陽が昇り始める地平線が12ハウスに刺さっているのは、意味的に望ましくないということから生まれた調整法のようです。
ただ、私は伝統的占星術やその歴史に関して知識が少ないので、この話がどこまで本当なのかも分かりません。
しかし、私がこの立場について問いたいのは「そもそも何故日の出が12ハウスではダメなの?」という点です。
別にいいじゃないですか。始まりからして日が死んでても。それをダメだというのは、個人的には人間本位・占星術理論本位で好きではありません。
ASCが刺さってる場所が、ASCでしょう。
惑星軌道及びホロスコープ、宇宙が美しいのは「円環」である点であり、それは即ち「生も死も同じ」という点にあると思うのです。
この感想は、「日の出は1ハウス(アセンダント)で起こるべき」というのと同じレベルだと考えます。
ですから私は、「ハウスの意味はグラデーション的で連続的だ」という所ですり合わせを行った方が良いと思っているだけなのです。
そういう考えは伝統的占星術を信奉する人からは嫌われるのでしょうが。
私の「5度前ルール」に対する考え
以上の話を総合すると、私の立場は以下です。
・出生時間は完全に正しいものとする
・ハウスの意味はグラデーション的だが、それを他人に伝えるハウス「理論」は形式的になる
・ハウスの意味自体が継ぎ目で連続しているため、アセンダントで幅を取る必要はない
それで私は「5度前ルール」を用いる必要はないのではないかと考えています。
少なくとも「5度前ルール」はハウスに関する話であるのは確かなことで、個人的には「サインにも適用する」とか言っている人は一発OUTです。
また、何となく「5度」という大きい固定値の範囲を取っているのも形骸化した数字が一人歩きしている可能性が高く、大分怪しいです。
唯一、アセンダントに幅があるという主張には説得力があります。
ただしその場合は、ハウスはあくまでも綺麗に分かれているという前提があります。
逆に、私の立場に立つならばその分「ハウスの意味」は十分に検討・表現しなければいけません。
何故ならば、ハウス内外の繋ぎ目が連続的であることを前提としているからです。
前後のハウスでどのように出入りがシームレスに繋がっているのかということは説明しないといけないでしょう。そのため、ハウスの意味については常にアップデートを行わないといけないと考えています。
ただし、それを理論として言葉で説明するときには「12ハウス」・「前・中・後」と分割していって形式的に伝える他ないので、区切られているように思えるということです。
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