性別によって読み方が変わる惑星があります。
これは太陽・月・火星・金星を指し、西洋占星術では特に恋愛・結婚面を占う際にそれらを性別によって読み分けるのが一般的ですが、私的には物凄く前時代的で違和感を覚える解釈の仕方です。
実際、既存の理論が想定していないLGBTに代表される性的マイノリティに対して非常に「占星術家」及びその周辺は焦って話を逸らしている印象です。
その理由と考察、私の解釈を述べたいと思います。
性別如きで読み方が変わる理論は欠陥理論
こんな人が恋愛相談に来た場面を想像して頂くと私の主張を理解して頂くことは容易です。
身体的性は男ですが、性自認は女です。
でも、クールな男っぽい格好は好んでしています。
草食に見えますが肉食で、恋愛は自分から行きます。
あ!相手は男でも女でもトランスでも、好きになったら大丈夫です!
既存の占星術理論は、こういう人に対してどういう答えを与えるのでしょうか?
おそらく、こういう情報を事前に与えられたならば相手のホロスコープによっては何となくポジショントーク出来そうな気もしますが、これらの情報を隠されるとお手上げです。
現状、一体どう答えているのか。
これが気になって色々調べたのですが、まぁ~~納得いきません。
「恋愛の問題ではなく、アイデンティティの問題です」
「問題は根深いです(単純な問題ではないのです)」
「そういう人は火星と金星で判定できるものではありません」
「個人ではなく相性・相対的な立場でみましょう」
「小惑星を見ましょう」……etc
上記のように、後出しジャンケンで対応するのは共通でした。
そして、「性的マイノリティが多い星の配置」みたいなものもないらしいです。
(そもそも、性的マイノリティの存在自体を大概の占星術師は気にしていない)
これでは欠陥理論です。
既存の理論や方法で正面から対処できない問題を見なかったことにするのは単なる誤魔化しであり、それは理論が不完全であるという何よりもの証拠です。
だからこそ、こういう部分を私はアップデートしていくべきだと思うのです。けれども、現状、そういう取り組みが進んでいないのが現実です。
それは占星術家は自分の学び・検証した理論が全てだと考えているからです。
しかし、最近はLGBTに代表される性的マイノリティのカミングアウトも増えてきています。
そして、そういう人達こそ悩みを抱えやすいものなのに「性別」・「非/性的マイノリティ」で読み方を変えるのは狡いと思います。
当然、性的マイノリティの人も恋愛はするだろうしそれで悩むはずなのです。
それに真っ向から向き合って、ある程度の回答と指針は示してあげないといけません。
性的マイノリティは後天的な要素もありますが、性分化による先天的な要素もあります。多様だからこそ「マイノリティ」なのです。
恋愛で悩む人もいれば、それ以外の問題で根本的に悩んでいる人もいます。
所詮、「人間」ですよ。(※この言葉をどう捉えるかですが)
そもそも、生物学を勉強すると身体的な性決定すらどこで線引きするのかも一概に言えなくなるという話です。
それを占星術理論の都合で全て「個人の恋愛以外の問題」にすり替え、茶を濁して相手にしないのは不誠実以外の何物でもありません。
せめて分からないなら「分からない」、そう答えるべきだと思うのです。
ただし、以下からの議論で明らかになりますが、私が占星術理論においてその人達に対してある意味もっと残酷な立場を取っているのは事前に謝っておきます。
そこは申し訳ないです。
建設的な反論(性的マイノリティと占星術の関係)
既存の理論を正当化するためのアクロバティックな言い訳は色んな所に書いてあるので、それらは怪しいと断言しておきます。
その上で私がまず擁護したいのは、「性的マイノリティが多い星の配置」を研究するだけの十分なサンプル数が確保出来ないということです。
現代でこそ「カミングアウト」という概念が浸透してきましたが、性的な苦悩を堂々と外に発信することが出来る人はまだまだ少ないと思います。
それが宗教的観念がもっと強い時代なら尚更のことで、そもそもデータの蓄積というのが昔から無いために、継承されてきた理論の想定に含まれていないのは容易に理解できます。
また、同性愛者のカップルなどでも同じことが言えます。
これはサンプルから理論を組立て、新しいサンプルに適応させるという統計学的手法(経験則)を用いる占星術理論にとっては「サンプルがない=理論がアップデートされない」という点で急所になっている点です。
ですから、それをどうしようかと苦心している人に対しては責め過ぎて申し訳ないと思うのですが、それならば違うアプローチを試みるべきだとも思います。
(性的)マイノリティと「統計学」
さらに私が考えるのは、「サンプルを確保する」という視点がそもそも間違っているのかもしれないということです。
統計学的手法を用いる占星術は、「性差」という集団的・統計学的な傾向差に当てはまらない集団(≒性的マイノリティ)とは本質的に交わらないのではないかという視点です。
占星術理論を統計学の類とみなした際、従来の占星術理論は統計学における「外れ値」として性的マイノリティを構造的にみなしていると言ってもいいかもしれません。
一方で、性的マイノリティの人達はそういう集団的な線引きに対して異を唱えて「個性」に注目して欲しいと考えているのですから、そういう人達に占星術という統計学的手法を適用してサンプル化するという前提自体がオカシイ。
ですから、そもそも性的マイノリティの人達を占星術で見るという行為自体が、その人達のアイデンティティに反しているのだとも言えます。
以上のような反論ならば私もまだ理解できるのですが、この反論は私以外にまだ見かけたことありません。
やはり、どうしても「占星術家」の人達は身に着けた理論が正しい(自分が正しい)というところから始まっていて、科学的視点やそれに合わない事象などを都合よく排除している気がします。
従って現状、都合の悪い時だけ「主観」と「客観」を使い分け、似非科学で説得を図る占星術理論は欠陥理論だと言わざるを得ません。
私の立場と解釈
私は占星術理論に関して「理論を完全にシステム化した上で鑑定結果に統計学的検証を十分に行うことで一定の範囲での有効性を保証すべき」という立場を取ります。
さもなければ、占星術理論は完全に読み手の主観だと認めて正直にインチキだと開き直るしかありません。ただしそうすれば、「カウンセリング」としての立場は保証されます。
しかし、現実には占星術理論というのは「カウンセリングのための似非理論」として、ダブルスタンダードをとっているのが現状です。
それ故に、性的マイノリティの人などは構造的に無視されています。それは望ましいことなのでしょうか?
以上を踏まえた上で、私は性的マイノリティの方に対してある意味でもっと残酷な対処を行わなければなりません。
個人が(性的)マイノリティであっても「人間」という生物学的な分類を用いて上位の集団に含めることで、占星術理論の枠組みに取り込むという対処です。
つまり、占星術理論を適用する対象がマイノリティであろうとなかろうと、与えられた条件(出生時間と場所)を元に決められたパターンの回答を与えるということです。
これは「集団」という線引きでなく「個人」に対する焦点で自分を見て欲しい・表現したいという性的マイノリティの方にとっては失望する回答かもしれません。
しかし、私にはそちらの方が平等だと思うのです。ひいては「差別」に対する一種の回答だ考えています。
それに、そうして与えられた定型的な答えに対して自分が如何に「解釈」するのかは自由ですので、別に「個人」を無視している訳ではありません。
もちろん、そうではなくカウンセリング的に「個人」に焦点を当てられることを良しとするのもいいでしょう。
自分の悩みにそれらしい回答を与えてもらって前に進む勇気を得ることは必ずしも悪いことではありません。
ただ、それは当然、何の解決にも繋がらない場合があるということです。
では、どういう風に読むのかという具体的手段については……別に恋愛の読み方に関する記事として書きます。
(いつになるんだ……^^;)
ただ、エキセントリックな読み方はしないと言っておきます。あくまで私はこれまでの占星術理論には一定の価値があるとも考えています。
「火星」・「金星」、「太陽」・「月」……これらを中心に適切な表現してシンプルに読んでいく、そういう方向性であることには間違いないとだけ書いておきます。
では、さよなら。
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