手相の結婚線が「結婚の時期」を表しているわけではないという話は手相に興味がある人には結構知られている話です。
では、何を意味しているのか?
世の中の手相家達は「特定の対象に愛着が深まる時期の回数を表している」という表現をすることが多いように思えますが、私はもう少し踏み込んで考えたいと思います。
結婚線は「結婚の回数・時期」を意味しない
価値観が多様化してきた現代社会において、結婚というイベントへの関心は昔ほど強くなくなってきましたが、依然として、生物である私達にとって繁殖や生活と結びつきの強い「結婚」は多くの人の気を引いているようです。
特に「いつ」結婚出来るかに関しては、この手の手相をはじめとした占いに不安感から頼る人が多いです。
従って、それを扱った商売が成り立っている訳です。
その是非はともかく、まず最初に伝えたいのは手相において「結婚の時期」はどのように鑑定しているのかということです。
その中で、「結婚線の流年法」を用いるのは間違いだと主張したいのです。
というのは、手相には「流年法」という何歳でどんなイベントが起きるかということを予想する測定法があります。これは日本の手相鑑定ではベーシックな方法です。
それで、結婚の時期や回数を予想したい際は結婚線にその流年法を適用する……という人が結構いるのですが、それは後に述べるように間違いです。
通説としては、運命線に流れ込む影響線の流年を見てから補助的に結婚線を見るという解説をする人が多い感じです。
総合して、結婚線は結婚の時期を厳密に表す訳ではないけれども、それでも結婚運を予想する際には見る意義がそれなりにある線ということです。
では、何故それとしては「結婚」を意味しないのに見る意義がある線なのかという考察は後でしますが、私は「結婚線の流年法」に関してはインチキの類だと考えています。
「当たる」と思ってしまうカラクリがあるのです。
以下の画像を見て下さい。ある2冊の本に書かれていた結婚線の流年法の説明を書いたものです。
名誉のため誰が言ってるとかは書きません。他にもこういうことを教える人が結構います。
まず、「結婚線の流年法」では年齢の基準が設定されます。多くの場合、小指の付け根を終点、感情線の始まりを始点として、その真ん中に基準の年齢を設定します。
画像の①では、「25歳」と設定しています。
この時点で「???」です。怪しい。
何故ならば、運命線や生命線の流年法が0歳~約100歳という乳児から老人となる大きな流れを設定することが多いのに対して「結婚線の流年法」は結婚適齢期の範囲を基準に設定しているのです。
これは極々狭い年齢域です。
また、画像の②などではさらに性別によって読み方を変えます。真ん中を男性は「35歳」、女性は「30歳」などと設定します。
そして、それを基準に結婚線が入っている部分を「おおよそ○歳で結婚」と誤差1~2年ぐらいで読んでいくのです。設定された年齢幅が狭いにも関わらず厳密に等分割は行いません。
……そろそろカラクリに気付いた人もいるのではないでしょうか。「結婚線の流年法」は当たります(笑)
しかし、それはそもそも統計的に多くの人が結婚する年齢を設定しているからであり、「結婚線」抜きにしても当たる確率が高い年齢です。
加えて、結婚線を気にする人というのは「結婚したい人」です。結婚したい人の多くは周りの人間が結婚・出産しだして焦る人です。
例えば鑑定者が女性であれば、大学卒業直後の「23歳」、社会人生活にも慣れてくる「25歳」、30歳手前の「28歳」、出産のリミットを考える「35歳」……。
おおよその暗黙的な区切りがあって結婚したい人はそういった節目の年齢を意識します。
その状況下で、それなりの異性からアプローチを受ければ、手相は抜きにして「結婚」へ至るのは自然です。
要するに、手相の結婚線は抜きにして「あなたは{25歳、28歳、32歳、35歳、38歳etc}(ぐらい)で結婚します」と相手の年齢に合わせて言うだけでそれなりに当たります。
相手も望んでいる答えですので喜びます。
そこに結婚線があればさらに良しです。それを根拠にしたフリをすれば6割7分ぐらいの人は「この人当たるかも」と思うはずです。
何故ならば、その年齢帯で大体の相談者が結婚するからです。
また、そう言われることで自分からその年齢を意識して結婚相手を探すということもあると思います。
ですので、「結婚線の流年法」はインチキなのです。
結婚適齢期の範囲を基準に流年を設定しているので、結婚する年齢はあてずっぽうでもそれなりに当たるというカラクリです。
ちなみに、私は流年法に関しては西谷泰人先生が発見・紹介している「西谷式流年法」を支持しますが、西谷先生は著作『的中手相術』の中でこう述べられています。
実際考えてみて下さい。仮に結婚線の正しい流年法を発見したとしても(私は発見していますが)二~三センチの幅を百年に刻んで結婚の年を正確に割り出すのは神業です。結婚線では結婚運を見るのがいいのです。
西谷泰人著『的中手相術』より
西谷先生の立場では、結婚線は「結婚運」を見るのには適しているけれども、「結婚の時期」は結婚線で見るのではなく運命線・生命線の流年を中心に総合的に見た方が良いという主張です。
このように結婚線が「結婚の回数・時期」を表しているとするのは怪しい説だとする立場は体感的にも多いです。
では、更に一歩踏み込んで、何故結婚線が「結婚運」を表すのでしょうか?
(※ここまで流年法の話をしましたが、私は手相占いを自分の性質・現状を知るために使うべきと考えていますので、こういう未来予知的な手法にはそもそもあまり価値を感じていません)
結婚線は発情期を意味しているという考察
結婚線の解説を色々と調べていると「特定の対象に愛着が深まる時期の回数を表している」という風な表現をしていることが多いことに気付きます。
これはおそらく彼・彼女達の経験から結婚線が必ずしも結婚に繋がるわけではないけれどもそれでも何か関係があると思った上で捻り出した表現なのでしょう。
それで、結婚線は結婚のみならず同棲や深い肉体・精神関係なども同様のものとしてカウントするのが通説です。先ほど挙げた西谷先生の本には「夢中で真剣に恋する異性の数」と書かれていました。
しかし私は「では何故、結婚線が愛着の深まりや高まりを示すのか?」と気になった訳です。
というのも、一般的な長さの結婚線が出る場所である水星丘の辺りには「愛着」などという意味はないからです。
それに、本当に結婚線が愛着を意味するのであれば結婚線が無いのにもかかわらず結婚している人は相手に愛着が無いのかとも考えてしまいます。
一方で、結婚線が複数ある人は再婚する・愛人を作る・浮気するという風に別の対象へ愛着を移す傾向があると言われています。
恐らくその「愛着」とやらは持続が難しいものなのだと思います。「深まり」の裏には「冷める・落ち着く」ということが想定されています。
しかし、これは本当に「愛着」と言えるのでしょうか?
それで私は考えました。
「結婚線は発情期を意味しているのではないか」
こう考える理由が2つあります。
1つ目は水星丘の意味です。
一般的に水星丘は機知や商才といったコミュニケーション能力(頭の回転)を表すとされていますが、もう一つ大事な側面として「生殖」という意味があります。
これは小指(下)が反射区的に生殖器を表しているという説に基づいていると考えますが、人によっては小指の長い人は生殖能力が高いとしていることもあります。
(※ちなみに、小指に関しては薬指(指比)のようにホルモンシャワーと関係しているとする学術的な研究はありません)
水星丘に「愛着」という意味はないけれども「生殖」という意味ならば確かにあるのです。
従って結婚線の「愛着」とは異性関係の「生殖」に関係すると考えるのが自然な気がします。
結局、言葉を皆濁しているだけで異性関係の始まりというのは生殖(性欲)が全てなのですから、実は「愛着」という濁した表現の方がおかしいのだと言えます。
2つ目は結婚線の性質です。
結婚線は左右で出方が異なる上に、出ているからといってその本数分だけ異性との深い関係が築かれるとも限りません。逆に結婚線が0本でも結婚する人もいます。
また仮に「結婚線が愛着の深まりを示す」ならば、何故左右で本数のズレが生じるのでしょうか?
何故後天的な手相を表す側に相手が現れる前にも関わらず既に線があるのでしょうか?
これを安易に運命としてしまうのでは、手相を研究する意味がありません。
その点、私が主張するように「結婚線は発情期を表す」と考えるならば上記に説明が着きます。
おそらく人間にも生殖欲求が強烈に高まるトリガーを引くタイミングが先天的に遺伝子・脳に設定されていて、それが生活環境によって後にズレたり回数が増えたりするのです。
体の成熟具合で先天的な側の手相が変化することもあると思います。
そして、一度そのトリガーが発動するとしばらくは「発情期」ですから脳は異性を強烈に求めていますし、身体もおそらく無意識に異性を誘惑するようになっています。
その結果、異性関係の「愛着」が深まりやすく、人によっては「結婚」という契約で関係性を固定したくなるということです。
しかし、「発情」は一時の強烈な性欲に過ぎないのでさほど長くは続きません。
所詮「発情」という衝動ですので、そこから先はまた別の段階です。
人によってはまた「発情」する人もいるでしょうし、その「発情」がより深い本当の愛着に繋がる人もいるでしょう。逆に相手に醒める人もいるでしょう。
これは科学的な「ホルモン」としても説明がつきます。(ドーパミンとオキシトシン)
結婚線の本数や形はそういう「発情」が多いのか・長いのか・大きいのか・尻すぼみなのか・高まるのか・目移りするのか……、そういう部分を反映しているのだと考えます。
従って、結婚線が無い人でも結婚することも当然あります。
結婚というのは関係性の変化の一つに過ぎないからです。
ただ、そんな人は多分比較的に理性的な結婚したのではないかと予想します。「情」は通り越して「縁」を感じた、異性という刺激より家族という結びつきに居心地の良さを感じたと言えます。
総じて私は「発情期」、必ずしも結婚に繋がる訳ではないですが生物的に結婚の確率が高まる時期があると考えます。まさしくこれは「結婚運」に他なりません。
ですので、結婚線では「結婚運」を見るのです。
まぁいずれにせよ異性と交流する機会がないとその「結婚運」、生物としての生殖意欲が高まる時期(生々しい!)も無駄になってしまいますので、占いや神社に費やす時間や金があれば先ずは何より外見を磨きましょう。
結婚に価値を感じないぐらい自立した魅力ある人間になりましょう。
異性との出会いのチャンスをドンドン増やしましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」です。ガンバレ!(←どこから目線??)
人間(ヒト)に発情期はあるのか?
こういうことを思った鋭い人がいるかもしれません。
「チョット待て。そもそも人間には発情期はないぞ」と。
「人間は理性的な生き物でそんな猿みたいな生殖欲求の高まりだけで婚姻関係を結んだりはしませんよ」と。
もしくは「人間は年中スケベなこと考えている猿ですよ」と。
猿の片割れが御立派に何言ってるんだ(笑)と思いますが、確かに人間という動物には発情期がありません。
人間にも発情期はあったが、進化の過程で失ってしまったのではないかという説が有力のようです。
ですので、人間にはニホンザルみたいにお尻が真っ赤になって交尾の時期を知らせる仕組みはありません。
これは見方を変えると年中発情期とも言えます。
自然界においてはそのような発情期がない・通年繁殖する哺乳動物の方が珍しく、人間(ヒト)以外では私が好きな動物のウサギ、後はネズミぐらいです。
しかし、ヒトは交尾と生殖が必ずしも結びかないという点で決定的にウサギやネズミと違います。
ウサギやネズミは非捕食者の立場であり、子孫を多く残すために年中発情しています。
つまり、基本的にヒト以外の動物は「発情」=「交尾(セックス)」=「生殖(繁殖)」を目的としているのです。
遺伝子の存続こそが生物の目的だという立場ではこれはとても自然なことです。
ヒトが例外的なのです。
以上を踏まえて「人間に発情期があるのか」という話ですが、私も人間に種として普遍的な「発情期」は失われていると考えています。
人間が生殖を目的として一斉に行動を変容させる時期はありません。
「春が来たからカップルが増えた!」とか「秋の季節はラブホテルが常に満室」とかいう現象は見かけないでしょう?(笑)
ただし、個体毎に設定された「発情期」はあると私は考えています。
個体毎にホルモンの波がある程度決まっていると言い換えても良いです。
何故ならば、人間は交尾と生殖が切り離されてしまったが故に「ある対象に対して優先的に生殖欲求が高まる期間」が設定されなければ遺伝子の存続が危ぶまれるのではないかと考えるからです。
例えば、雄は特定の雌に入れ込む期間がなければ、極端な話、交尾を定期的に複数の雌と交わしているのにも関わらず排卵タイミングを逃し続けて子孫を残せない可能性があります。
また一方の雌は排卵周期に合わせてもう少し細かな発情期があると思いますが、それとは別に一定期間他の雌より優先されて交尾するような誘惑を行わなければ他の雌に競り負け続けて生物としてのピークを逃し、望みの遺伝子が手に入らない可能性があります。
この説は完全に私の妄想ですが、こういう「交尾と生殖を一致させるような中期間の生殖欲求の高まり」というのは交尾と生殖が切り離された人間固有のものとして存在するのではないかと思うのです。
もしくは、死ぬまでの性成熟のスパンとして、そういう個体毎の差があるのかもしれません。
これを私は「発情期」として結婚線の説明をしていました。
要は「発情期」という言葉の定義が生物学の通念と私の仮説で違ったということです。
ややこしい勝手な使い方をして申し訳ないです(^^;
けれども、生殖という根源的な欲求・行動と深く結びついた「発情期」が多少の理性を身に着けたことぐらいで急になくなるのか?とは純粋に疑問に思います。
種が戦略的に獲得した年中発情期という状態や生理的に発生する瞬発的な発情状態とは別に「パートナー欲求」が高まる時期が個体毎にあってもおかしくはないのでは?
「発情期」がなくなった訳ではなく、在り方が変容したと考えるのが自然なように思います。
まぁこれは素人の考えなので嘘だと思って下さい。
ちなみに、私自身の手相は自他共の鑑定によって「28歳」辺りに1回結婚すると出ています。これがどうなるのかも数年の内に分かります。
さあ、どうなるんでしょうね。
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